http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1809/30/news033.html
以前にも
「欲しい情報を都度、検索しない」
という記事があり興味をもったわけですが、それにあわせるかのような今回の記事。
「欲しい情報にたどり着かない」
というのはどういうことなのか読んでみた次第です(*’ω’*)
検索する=欲しい情報を得る ではない?
たしかにかつては調べたいこと・欲しい情報をネットで検索する「ググる」ことで得ることができた時代もあったわけですよね。
だからこそ「ググる」なんて言葉ができ、「ggrks」なんてネットスラングが誕生したわけですしね。
でも、最近は…
アフィリエイト記事だったり、まとめサイトだったり、検索上位に出てくるのはそういったものばかりになってきているという。
たしかに。
個人的には単一ワードでの検索では欲しいモノ・情報がすぐにみつからないというイメージを持っていたので、昔から複数ワードを組み合わせて検索する癖があるのですが、それでも明らかなアフィリエイト記事がヒットしたりしますもんね。
消えてしまった? 個人サイトというカテゴリ
そういえば、Yahooジオシティーズの閉鎖が話題になっていたりしますが、かつては無料HPのサービスなどを利用する形で個人サイトがいっぱいあり、情報をそこから得ていたりもしましたよね。
何個か当時ハマっていたゲームの情報ページを作った経験もあります。
もう、すでにそのサービス自体終了してしまっているので、見ることは叶いませんが…。
そんなサイトが無数とあり、しかも検索ですぐに見つけられていましたよね。
今はそういった個人サイトのようなものはほとんど見かけることもなくなっていると思います。
ブログに取って代わったというのもあるのだと思いますが、ネットの流れはHPからSNSへシフトしているのだなと実感する部分でもあったりしました。
情報の真偽・取捨選択
その一方では口コミ(昔のそれとは違いネット・SNSによる個人的なつぶやきなどでの情報)により、流行りや急上昇な話題など「乗り遅れないため」の情報を取得しやすくなっているとは感じます。
それが良い悪いではなく、検索によって表示される結果は検索エンジンの仕様によって時代時代で変わっていくし、閲覧したモノの真偽・取捨選択は情報を得た側にほぼゆだねられています。
なかなか難しい問題ですよね、信じる信じないを判断しなきゃいけないのって。
まとめ
昔は良かったという話は「思い出補正」なんてこともあったりするもんですが、今回の話題は「確かになぁ」と思わせる部分もあったりしました。
情報を発信する側、情報を受け取る側、それ以外にも表示する仕組み、実際に得た情報の選択…色々と考えさせられます。
願わくば、この先はシンプルな方向に進んでくれるといいなとは思ったりしますが、混沌としているのもネットの特徴。
いろいろと複雑な気分になっちゃいました。